「山形をもっと面白くする」と書いた文を、私は半年後に書けなくなっていました。
飽きたわけではありません。 その頃の私は、別の場所で面白い人と会うことに時間を使っていて、山形で何かを起こす気持ちがもう残っていませんでした。 それでも参加者は、私が最初に書いた文を見て入ってきています。 書けなくなった言葉だけが、約束として場に残りました。
一年後も同じ熱で言えるか#
旗を掲げるとき、私は「人が集まる言葉かどうか」だけを考えていました。
いま先に確認しているのは、自分の持久力です。 この言葉を、一年後の自分も同じ熱で言えるかどうかを自問します。
判断の材料になるのは、過去に自分が何を続けたかです。 私は面白い人に会いに行くことを10年近く続けていますが、特定の地域を良くする活動は一度も一年を超えませんでした。 そこまで並べると、「山形をもっと面白くする」が自分にとって無理な旗だったことは、掲げる前に分かったはずでした。
キャッチーな言葉ほど、人を集める力があります。 そして集めたあとは、掲げた本人を縛る側に回ります。
軸を変えるときに交わすもの#
続けていれば、やりたいことは変わります。 方向を変えること自体を、私は失敗だと思っていません。
問題は、変えたことを説明しなかった場合です。
Webメディアを運営していたとき、私は場の話題を記事数とPVへ寄せていきました。 自分の中では、続けるために必要な変更でした。 参加者には何も言っていません。 文章を書きたくて入った人から見れば、ある日から突然、別の場所になっていました。
軸を変えるなら、告知だけで済ませずに、理由を伝えて、残る人と新しい約束を交わす場が要ります。 私はこれを再契約と呼んでいます。 説明されない変更は、参加者の側からは裏切りに見えます。
相手ごとに言葉を変えない#
人を集めているとき、相手に刺さる言葉を選びたくなります。
就職活動を気にしている学生には「就活に活かせる」と言い、書くことに興味がある学生には「文章力が上がる」と言う。 一人ずつ見れば、どれも本当のことでした。 場としては、別々の約束を同時に抱えたことになります。
刺さる言葉を選ぶこと自体は問題ではありません。問題は、コアに置く価値観まで相手ごとに変えることです。
いまは、変えてよい部分と固定する部分を分けています。 言い方、例、想定する場面は相手に合わせます。 その場が何を繰り返す場なのかという一点だけは、誰に対しても同じ文で言います。
そこに共鳴しなかった人には入ってもらわないほうが、あとで互いに楽でした。
まず自分が嬉しいかどうか#
学生団体をやっていた頃、私は三方良しという言い方をよくしていました。 自分が嬉しくて、周りも嬉しくて、地域も嬉しい状態を目指す、という意味です。
当時いちばん軽く扱っていたのが、最初の「自分が嬉しい」でした。 人のために動くほうが正しく見えたからです。
他人のために100パーセント動く設計は、こちらの調子が落ちた日にそのまま止まります。 自分が嬉しい部分を残しておかないと、続ける理由が善意しかなくなります。
旗を掲げる前に確認しているのは、結局この三つです。 一年後も言えるか。 変えるときに説明する場を持てるか。 そして、自分が嬉しい部分がどこに残っているか。