大学二年の春、参加者100人のイベントを運営10人で回しました。
当日の朝になっても、タイムラインは白紙でした。 トラブルが起きたときに誰が判断するのかも決まっていません。 私は前日まで、集客の数字だけを見ていました。
このときの反省は明確でした。 役割を決めていなかったから、全員が全体を見ようとして、誰も全体を見ていない状態になった、というものです。
役割表を作り込んだ次のプロジェクト#
次の企画では、先に役割表を作りました。
SNS広報、スポンサー折衝、当日運営リーダー。 担当と範囲を紙に書いて、全員に配りました。 進行は前回よりはるかに滑らかになりました。
当日、別の問題が起きました。
広報担当が、当日のトラブルに関心を示しませんでした。 自分の担当は集客までだと理解していたからです。 運営担当は、スポンサーからの問い合わせを自分ごとにしませんでした。
誰もさぼっていません。 全員が、渡された役割の通りに動いていました。
役割の二つの失敗#
同じ「役割」という言葉で、私は正反対の失敗を二回しました。
役割がない場では、人は動きません。 やることを自分で決められる状態は自由に見えますが、実際には何をしても外れる可能性があるので、手が止まります。
役割が細かすぎる場では、人は枠の外に出ません。 「自分の担当ではない」が増えて、担当と担当のあいだに落ちたものが残ります。
役割は、責任を割り当てるラベルではなく、参加者が自分で判断するための支点として渡すものでした。
担当名と一緒に渡す三つ#
いま役割を渡すときは、担当名だけでは渡しません。 次の三つを一緒に伝えます。
- 何のためにその仕事があるか:全体の目的と、その仕事のつながり
- 自分で決めてよい範囲:確認を取らずに動いてよいところ
- 困ったときに誰へ相談し、いつ共有するか:判断を止めない先
二つ目を渡さないと、責任だけが移って権限が残ります。 渡された側は毎回確認することになり、結局こちらの稼働が増えます。 責任と権限は、片方だけ渡すと機能しません。
三つ目を渡さないと、詰まったことが共有されないまま時間が過ぎます。 無償の場では、締切を作る力が報酬にありません。 いつ共有するかを決めておかないと、止まっていることに誰も気づかないまま数週間が過ぎます。
割りすぎないための目安#
いくつに分けるかは、いまも毎回迷います。
判断の材料にしているのは、担当と担当のあいだに落ちるものがどれだけあるかです。 リスクの管理、参加者への聞き取り、記録の整理といった仕事は、どの担当にも属さずに残りがちでした。
割りすぎたと感じるのは、こうした仕事について「それは誰の担当ですか」と聞かれるようになったときです。 そう聞かれる場では、空白を自分で埋める人がいなくなっています。
逆に、空白に気づいた人が「私がやります」と言える場では、役割は少なくても回りました。 そう言える条件は、その人が全体の目的を知っていることでした。 だから三つのうち、削れないのは一つ目です。