2020年の私は、リーダーに必要なのは熱量だと思っていました。
「俺たちはこのためにやっているんだ」と本気で言えなければ人はついてこない、と書いた記事が残っています。 無報酬の場で人に動いてもらうには、運営者が誰よりも熱く、メンバーの人生を本気で応援する姿勢を見せ続けるしかない、とも書いていました。
いまの私は、ほぼ逆のことを考えています。 コミュニティは頑張ってはいけない、というのが現在の結論です。
この章は、その反転がどこで起きたのかの記録になります。
立ち上げは得意でした#
学生団体を立ち上げたとき、人は集まりました。
目指す姿を語って、共感してくれそうな学生に声をかけて回るところまでは、自分でもうまくやれた感覚があります。 やまがた次世代会という場は、LINEグループで100人を超えました。 毎週土曜のオンライン企画は2ヶ月続いて、4年間の大学生活で初めて、学生主体の企画が続いた実感を持ちました。
止まったのは、そのあとです。
意義を語る役と、毎週の実務を進める役が分かれていきました。 私は前者に寄っていて、負担は後者に集まりました。 立ち上げから2年半で、私は代表を退いて運営チームからも離れました。
抜けたあとのほうが進んでいました#
離れてしばらく経って、外から議論を見る機会がありました。
私がいた頃より、議論が主体的に進んでいるように見えました。 寂しさと納得が同時に来たのを覚えています。
このとき初めて、始める力と続ける力は別の技能だと考えました。 目指す姿を語って仲間を集めることと、毎週の実務を決めて進めることは、同じ人が得意である必要がありません。
リーダーの仕事を分けて書き出してみると、五つありました。 目的を言葉にすること。 次の行動を決めること。 分からないことを認めて助けを求めること。 メンバーの状況を確かめること。 必要なら役割を譲ること。
私は一つ目にだけ偏っていました。 足りなかったのは生まれつきの器ではなく、残り四つを引き受ける習慣でした。
熱量が必須だと書いていた頃#
ここまでで反省は済んだつもりでいました。
2025年に書いた記事では、残り四つの仕事のうち「メンバーの状況を確かめる」を強化する方向へ進んでいます。 本人が何のためにここにいるのかを一緒に確かめる対話を、毎月やる。 期待する役割を伝え続ける。 貢献した人を全員の前で称える。 そしてリーダー自身が熱狂して、方向性を全身で示す。
この設計は、実際にある程度は機能します。 ただ、どれも運営者の稼働を増やす方向にしか働きません。
毎月の対話も、称賛の場づくりも、熱狂して見せることも、こちらの調子が良い週にしかできません。 調子が落ちた週に何が起きるかは、設計に入っていませんでした。
熱量が下がった日に何が残るか#
判断が変わったのは、運営者の善意を価値の中心に置く設計そのものを疑ったときです。
参加者が受け取っている価値が運営者の熱量でできている場合、熱量が下がった瞬間に、参加者の体験がそのまま崩れます。 これは運営者が弱かったという話ではありません。 一人の根性に依存する設計を選んだ、という設計の話です。
続かなかったのは、自分を削れなかったからではなく、削り続けることを前提に組んだからでした。
「稼ぎ方を教えます」を掲げた場は、オーナーが稼ぎ続けて成長を見せ続けないと成立しません。 「応援」や「助け合い」を掲げた場は、オーナーの熱が冷めれば全体が冷えます。 どちらも、提供している価値の実体がオーナーの状態そのものだからです。
頑張らないという条件#
いま私が運営している場では、自分の頑張りを前提から外しました。
その場を続けるために自分が毎週やることを書き出して、体調が悪い週にも同じ量ができるかを見ます。 できないなら、量を減らすのではなく、その週に止めてよい部分を先に決めます。
熱量そのものが悪いわけではありません。 私がいま避けているのは、熱量を前提にした約束を参加者と交わすことです。
2020年の私に一つだけ渡せるとしたら、五つの仕事のリストではなく、この一行になります。 自分がいなくても回るかどうかを、始める前に確かめること。