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地方国立大学で、選択肢を増やすために私がやったこと

mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。

東京で十八年暮らしたあと、山形大学へ進んだ。 地方の大学を選んだ時点では、将来をはっきり決めていたわけではない。 ただ、周囲と比べては焦り、自分が何者になりたいのかを決められずにいた。

休学を含めて五年間を過ごしたあとに残ったのは、地方国立大学が誰にとっても有利だという結論ではない。 選択肢が少なく見える場所でも、自分で調べ、人に会い、小さく始めれば、選択肢は増やせるという実感だった。

山形大学で過ごした五年間の記録

時間が余ったことで、自分の進路を考え始めた
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大学の近くに住み、夕方から深夜まで飲食店で働いても、まだ時間が残った。 東京にいた頃は、情報も人も予定も多く、流れに乗っていれば何かが決まるように感じていた。

山形では、その流れが急に細くなった。 就職や進学の手本はあっても、自分が関心を持った活動へ続く道筋はすぐに見つからなかった。 暇になったからこそ、空いた時間を何で埋めるのかを考えざるを得なかった。

この環境が合う人もいれば、合わない人もいる。 便利な選択肢が多い場所で力を出せる人もいるだろう。 私には、急いで誰かの正解を追わなくてよい時間が必要だった。

情報が少ないなら、人に会って確かめる
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やりたいことの手本が近くにないと、最初は不安になる。 私は興味を持った活動をしている人を探し、人づてに連絡を取り、話を聞いた。

地域の企業経営者、行政の人、大学の先生、宿を営む人などに会う機会があった。 会えばすぐに答えが出るわけではない。 それでも、仕事の作り方や、地域で何かを続ける人の考え方に触れるたび、自分が知らなかった道が具体的になった。

地方では、会いたい人が自動的に見つかるわけではない。 だからこそ、紹介を頼む、イベントへ行く、話を聞いた後に振り返るという行動が、少しずつ身についた。

ないものを作ると、失敗も自分の経験になる
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学生同士が話す場がなければ交流会を開いた。 学生向けの情報を届ける媒体がなければ、仲間と試した。 研究室のように技術へ向き合える場所がほしいと思えば、先生に相談した。

どれもうまく続いたわけではない。 人を巻き込みながら始めたのに、目的を十分に共有できないまま止めた活動もある。 後輩へ役割を頼むとき、本人が何を得たいのかを確かめきれなかったこともあった。

それでも、立ち上げる、運営する、畳むという一連の経験は残った。 次に何かを始めるとき、前回の失敗を理由に手を止めるのではなく、役割や目的を先に話すようになった。

比較を減らすと、試すことに集中できる
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大学に入る前の私は、目立つ実績を持つ同世代を見て、自分には足りないものばかりを数えていた。 地方へ移ってからも比較が消えたわけではない。 ただ、目の前にある活動を自分で始め、誰かに相談し、また失敗することを繰り返すうちに、比べる相手より次に試すことへ意識が向く時間が増えた。

地域のなかで活動を続ける学生は多くなかった。 だから、少し動いただけで人に覚えてもらい、取材やイベントへの参加につながることがあった。 それを自分の価値の証明だと受け取るのではなく、次の挑戦を試すための入口として扱えたことが大きかった。

地方国立大学を選ぶ理由は、学費や偏差値だけでは決まらない。 どんな人に会えるか、どれだけ自分で時間を使えるか、足りないものを作る気になれるかも、大学生活を変える。

五年間を振り返ると、最も役に立ったのは特別な実績ではない。 分からないままでも一人に連絡を取り、小さく始め、合わなければ直すことを覚えたことだった。

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