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受託をせずに生きるためにしていること

·1267 文字·3 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。
受託をせずに生きるためにしていることの画像

なぜ「独立 = フリーランス = 受託 / 受注」 と無意識のうちに刷り込まれているのでしょうか

なぜ「独立 = フリーランス = 自由」と思い込んでしまう人がいるのか

まず私は正直に言って、別に会社員は嫌ではありません。 もちろんダルい時はありますし、しんどいときもありますが。

似ているバックグラウンドや価値観・話の通じる日本人がいる場所が会社にあり、それはベトナム国内では少なく、そして みんなで得意を補って仕事をぶん投げ合う環境。  そんなに悪いと思っていません。

(やりたくないことをやりたくないです! と言い続けれて、やりたいことを勝手にやれる限りにおいて)

私は、「自由 = その日、朝起きてから、なにをしてもいいし何もしなくてもいい状態 」と定義しています。 もちろん、契約上の縛りもそうですし、生活や将来といった経済上の縛りもそうです。  その上で、 その日、朝起きてから、なにをしてもいいし何もしなくてもいい状態です。

なので、交流会に参加して、セミナーして、営業をかけて、アポをとって、商談をして、提案をして、秘密保持契約を巻いて、契約書を巻いて、おかしなところがあれば指摘して治す交渉をして、契約した価値提供をして、納品して、請求をして、入金を確認して、納税して、健康保険も更新して、休日も仕事のことを考えて……ということが前提のフリーランスに価値を感じていません。

学生の時に目指して、やってみましたけど、「憧れるもんじゃないな。 やるもんじゃないな」って感想になりました。

それから、世の中の課題というのは、「人と人」の間に転がっているのだから、大勢の人がいて、課題が転がっているど真ん中にいた方が面白いアイデアが発見できると思っていますし、解決できるか試すなら、人が多くいて被験者が多い方がやりやすいはずです。

つまり、私にとって「独立」「退職」とは、クビにならない限りにおいて、「受託仕事をしない」ことと同義になるのです。

もちろん、娘のことを考えたり、国際結婚だからこそ、両国間の行き来などでお金もかかる、教育費もかかる、引退してからの生活コストもかかるため、いつかは「自由」にならなければならないと思っています。

そのために私の人生は、すべて「**自由になること 」すなわち「 その日、朝起きてから、なにをしてもいいし何もしなくてもいい状態」**を目指す必要があります。  そうでなければ、ベトナムにいようが、日本にいようが、理想の老後にならないと考えています。

つまり、このnoteで書くことはすべて「受託をせずに生きるためにしていること」となります。 移住も個人開発もAIもnoteも。

目標達成のためには、そうせざるを得ないから生き方的にも行動的にもそうしている。 って感じです

その中でも特に、価値観や思想や方針に深く関連する記事を以下に掲載します

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