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キャリアをどうすんのかって話から生成AIキャリアの話

·1817 文字·4 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。
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ベトナムに来ることだけに捧げた大学後半の3年間

ベトナムに来て4年目

そろそろ、あの努力の余韻に浸るのもお別れしないと

次の目標、理想、どうしようか

そんなことを考えたほうがいい時期に来ているらしい

上司は私のキャリア形成・成長のために、イケイケAI企業に出向( 修行 ) の話を持ってきてくれるほどまでに、心配してもらってる。 「同じようなことをやってるメンターというか先輩という存在が君には必要だ」と言われた

それくらい停滞感が自分から溢れ出ているんだろう。 20代半ばでもう毎日をただ過ごすモードになりつつある自分に違和感を感じているのだろう

Twitterやnoteでギャーギャー意識の高いことを呟いている割に、なんで彼から覇気が湧いてくるのを見えないのだろうか……とも思われているのかも知れない ( ベトナム界隈は狭いのでSNSはとうの昔からバレてる )

高い目標を掲げで追いかけるというタイプでもなく ( もう疲れた )、何か実現したい世界があるかと言われるとそうでもなく、何がしたいんだ? と聞かれてわからなくなってしまった今日の上司との1on1

正確に言えば、ベトナムに新卒で働くことができた時点で、燃え尽きた。 そして、何がしたいかもわからない

やりたいことといえば、ベトナムで家を買うなんて遠い話、車も買いたい。 5000万円くらい必要だ。 それだけ

その間がないというか、ちょうどいい中間の目標がないというか、自己実現のための手段としての目標を立てる気持ちになっていないというか、気分じゃない

来たるタイミングというものが来ればやる気が出るのだろうか。 やっぱり、会社に同年齢も後輩もいないのはつらいところはある。 3個上の先輩群に着いて行っているだけでなんとなく大丈夫な気がしちゃって、いまいち成長しなきゃ感が芽生えない

新卒でベトナムに就職しようなんて思わないほうがいい

よほど理由がなければ。 責任は自分にある

さて、ちょっと、悲観的にメタ認知してみると、私はAIの波にうまく乗れて、いろんなPJでAI機能の設計と改善を繰り返して3年経つけれど、病むときにいつも思うのは

私がすごいのではなくて、AIがすごいのである AIがすごい部分を勘違いしてはいけない

というところは、いつも病むと思い始める

AIがすごいからそれの最先端を追っていて褒められている部分と、AIがなくても喜ばれるスキルで価値を提供できている部分は分けて考えなければならない

極論、先端技術をわかりやすく非技術者に伝えてプロダクトを開発、進行していくスキルはどの時代でも重宝されるだろうし、IT業界ってのはその情報や知識のギャップで飯を食ってきている訳だ

だからそんなに悲観することはないとは思うんだけれども、 じゃあこの先50歳になっても60歳になっても、最先端の技術を常に追って、そのギャップで生きていくのか? と問われるとするならば、それはキツくねぇか? とも思ったりする

そうなりたくないならば、上流工程をする必要が出てくるが、どうも私は「気分で仕事をしている」つまり、気分がノレる顧客に対してはノリノリで本気を出すが、気分が乗らない顧客に対してはちゃんとそれなりに期待されているアウトプットは出すことはできるが、メンタル的にしんどいこともある。

いや、ちゃんとやってますし、感謝もされてますよ?

でも、お気持ちドリブンになってしまっているんだ

少しでも嫌なことがあるとしんどくなる、少しでも面倒なことがあるとメンタルがしんどくなる

そんな状態で上流工程なんていったら、もっとメンタルがやられてしまう。 再起不能かもしれない

50歳まで、60歳まで働かなければならないならば、何をしている自分が幸せなんだろう?

上流側へ行き、ストレスに耐えてコミュニケーションを磨いてなんとかするか、技術側のちょうどいい場所にいて、最先端技術への理解と言語化で食っていくのか

ちなみに、インターネットのこういう記事のあるあるの「退職・フリーランス」については今のところ考えていない。 日本語で雑談をいろんな人と定期的にできないともっと病むからだ

つまりコンサル系、PrdM系なのか、PjM系に留まるのか、、どっちなんだ? という話になる

もちろん、個人開発プロダクトが売れ続けて欲しいのはあるとしても、やっぱり病まないで生活をするためには会社組織への所属はしておきたくて、じゃあどっちがなんだろうな。 と思っている

わからなくなってきたので寝る、おやすみなさい

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