
コミュニティの参加理由と離脱理由は、いつも同じだという話
「人は、集まった理由で、去っていく」 このシンプルな構造を、私は山形で二つの学生コミュニティを運営し、どちらも立ち上げから解散まで見届けた中で、痛いほど学んだ。
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「地域をよくしたい」という言葉が、自分を縛った
一つ目は「山形で何かしたいけど、何をすればいいかわからない学生」に向けた“きっかけ”をつくるイベントコミュニティだった。 立ち上げ時、私は「山形をもっと面白くする!」 と掲げた。 けれど実のところ、私自身は山形に特別な愛着があったわけではなく、たまたまそこにいただけだった。 どちらかというと「面白い人に出会える場をつくりたい」という衝動の方が強かった。
この小さなズレは、最初は誰にも気づかれない。 だけど、少しずつ亀裂になる。 参加者が「次は具体的に地域を変えるアクションを」と期待し始めた頃、私が考えていたのは「どうやったら外の面白い人たちを呼べるか」だった。 いつしか、私自身がこのコミュニティに熱量を注げなくなり、別の場所で“面白い人”と繋がりはじめた頃、活動も自然と停滞していった。
「地域を良くしたい」と言って始めたコミュニティで、私は地域に背を向けた。 この違和感こそが、解散への引き金だった。
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耳ざわりの良い言葉で集めた人は、耳ざわりの悪い現実で去っていく
二つ目は、山形の学生生活を豊かにするWebメディアの運営だった。 「学生の目線で、学生にしか書けない情報を発信しよう」という理念に惹かれて、仲間が集まった。 けれど、人が増えたことで「記事数」「PV」「成長」の話が中心になり、いつしか私は「もっと書いて」と言うようになった。
さらに問題だったのは、新しく入ってくるメンバーに対して私が「その人が求めていそうな動機」に合わせて説明してしまったことだった。 ある人には「就活に活かせる」、別の人には「友達ができる」、また別の人には「文章力が上がる」と。 嘘はついていない。 でも、その結果、みんながこの場に“違う期待”を持って集まるようになった。
理念は一つだったはずなのに、動機がバラバラになり、誰もその理念を語らなくなった。 いつしか、みんなの筆は止まり、組織は“何のためにあるか分からない場所”になった。
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私が学んだ、三つの原則
この二つの経験から、私は三つの教訓を得た。
旗を掲げる前に、自分の“持久力”を確認すること。 キャッチーなスローガンは人を集める。 でも、掲げた本人がその言葉に責任を持てなければ、やがて自分を苦しめる檻になる。 「自分は本当にこれを一年後も語り続けられるか?」 と自問することは、コミュニティを続けるための第一歩だ。
軸を変えるなら、“再契約”の場をつくること。 方向転換が悪いのではない。 変えるなら、理由を説明し、合意を得るプロセスが必要だ。 そうでなければ、参加者にとっては“裏切り”になってしまう。
勧誘時に“カスタムコピー”を多用しないこと。 一人ひとりに刺さる言葉を選ぶのは悪くない。 ただし、コアとなる価値観は一つにする。 それに共鳴してくれた人とだけ進めばいい。
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コミュニティは、契約であり、循環である
コミュニティは“入学”と“卒業”を自由に選べる学校のようなものだ。 入学案内(キャッチコピー)と授業内容(活動実態)が一致している間は、人は残る。 でも、ズレが起きれば自然に離れていく。 それは“失敗”ではない。 ただし、そのズレが「説明されない」「すり替えられる」ものであれば、人は失望して去る。
人は“集まった理由”で、“離れていく”。 だからこそ、入口の設計がすべてを決める。
この原則を忘れずにいれば、たとえ別れが訪れても、「あの場所、よかったよね」と思ってもらえるコミュニティをつくれると、私は信じている。
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以上が、私が学生時代に本気でコミュニティ運営に向き合って得た、リアルな教訓だ。 次に何かを始めるとき、私はもう一度この原則に立ち返る。 「なぜ人が集まるのか」を問い、「どうすれば、その約束を守り続けられるか」を自分に問う。 それができる限り、コミュニティはまた、ちゃんと人の心を動かす場所になれるはずだ。




