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再現性のある失敗ができた教訓を書く

·1409 文字·3 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。
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再現性のある失敗ができて嬉しい

よく巷で言われていることとして

失敗には共通点がある

とある

今回した失敗は、これまで8年間で、3回違う方法でやって、全く同じ間違え方をしたので、それを共有したい

それは

ということだ。

3度の失敗
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https://tnihei.com/posts/n5a0a3d95507e/

共通の失敗
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  1. 友人の輪の中での実力はこれでもいいが、SNSの世界で実力とは起業くらいしないと見向きもされない。またはめっちゃ稼ぐとか、めっちゃ話題になるとか、そこまでやる気がないならば、実力でSNSに殴り込みで入る方針は捨てたほうがいい
  2. 公的機関から紹介されたとしても、稼げるとは限らない

学んだことと今後の方針
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やっぱり営業とマーケティングが肝になるんだろうなぁと思った。

「バイラルを作る」とはよく海外の個人開発者が言うけれど、「盛り上がり」を自ら作りしかないんだろうな

これまでの私は

「営業をしてマーケをして何も売ったものがひどかったら申し訳ないから、価値を高めたら自然に売れるようになるだろう、そうなってほしい」

と願望を抱き続けていただけだった。

けれどもこれだって、よくクリエイターの失敗な考え方としては有名である

私にとってこの失敗はとても価値があった

なにを価値に感じているかといえば

マーケティングの王道の手法やアドバイス」は自己流ではなく、騙されたと思ってやったほうがいいんだろうな

ということ。

もし私が今回の失敗をしなければ、「あの人はこう言っているけど、私はこう思う」 と斜に構えて理想論だけを言い、どちらも経験をしなかっただろうと思う

今回、本気で挑戦をして検証して3回も失敗したことで、「私の理想論は理想なだけだった」と諦めることができた

いや、次は、「王道の方法」をやって同じくらい本気で検証して失敗しても良い。 そしたらまた、次の景色が必ず見えてくるだろうと思う

「知ってるけれど、やらない」と「失敗でも成功でもいいから、とにかくやった」には大きな壁がある

これもまた、よく言われている言葉だけれども 「やったけど、失敗 」を自ら経験したことにとても価値を感じているし「 車輪の再発明 」は良くないことだと言われているけれど、人生を豊かにするためには、多少の「 車輪の発明を認識した上での、車輪の再開発」つまり、自分の手でやって納得することで、心から身に付くんだろうと思った

つまり、無駄なことなんて何ひとつないんだ

ただ、失敗と認めず、自分の理念や仮説と異なるという理由で、もう一方の施策をやらずに燻るのは、意味のない時間だと思う

ChatGPTに毎日、ビジネスやSaaSのアイデアを相談しているだけで行動している気になっていた。 そうじゃない。 なにか世に出そうと思った

どっちもやろう。 どっちもやって、自分のやり方を見つければいい

どっちもやってからでも遅くはない

私の次の挑戦の場はここ https://www.instagram.com/mota_lab

わからない。 何を投稿すればいいのかわからない。 方針もわからない

昨日までの私は「メルマガを読み漁り」「成功例を調べているだけだった」

でもわかったことがある。 ダメならまた始めればいい。 正解なんてない。

怖いけれど、時間をかけてなにかアクションをしなければ、道は拓けない

noteメンバーシップだって、最初は自分に言い訳をして、読まれないことが不安で、月に1記事くらいしか書いてなかったけれど、15-20記事書くようになったら読んでくれる人が増えてきた

不安だからやらないんじゃない。 不安だから時間をかけてもやるんだ

それがここ最近の教訓

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