
再現性のある失敗ができて嬉しい
よく巷で言われていることとして
「失敗には共通点がある」
とある
今回した失敗は、これまで8年間で、3回違う方法でやって、全く同じ間違え方をしたので、それを共有したい
それは
ということだ。
3度の失敗#
https://tnihei.com/posts/n5a0a3d95507e/
共通の失敗#
- 友人の輪の中での実力はこれでもいいが、SNSの世界で実力とは起業くらいしないと見向きもされない。またはめっちゃ稼ぐとか、めっちゃ話題になるとか、そこまでやる気がないならば、実力でSNSに殴り込みで入る方針は捨てたほうがいい
- 公的機関から紹介されたとしても、稼げるとは限らない
学んだことと今後の方針#
やっぱり営業とマーケティングが肝になるんだろうなぁと思った。
「バイラルを作る」とはよく海外の個人開発者が言うけれど、「盛り上がり」を自ら作りしかないんだろうな
これまでの私は
「営業をしてマーケをして何も売ったものがひどかったら申し訳ないから、価値を高めたら自然に売れるようになるだろう、そうなってほしい」
と願望を抱き続けていただけだった。
けれどもこれだって、よくクリエイターの失敗な考え方としては有名である
私にとってこの失敗はとても価値があった
なにを価値に感じているかといえば
「マーケティングの王道の手法やアドバイス」は自己流ではなく、騙されたと思ってやったほうがいいんだろうな
ということ。
もし私が今回の失敗をしなければ、「あの人はこう言っているけど、私はこう思う」 と斜に構えて理想論だけを言い、どちらも経験をしなかっただろうと思う
今回、本気で挑戦をして検証して3回も失敗したことで、「私の理想論は理想なだけだった」と諦めることができた
いや、次は、「王道の方法」をやって同じくらい本気で検証して失敗しても良い。 そしたらまた、次の景色が必ず見えてくるだろうと思う
「知ってるけれど、やらない」と「失敗でも成功でもいいから、とにかくやった」には大きな壁がある
これもまた、よく言われている言葉だけれども 「やったけど、失敗 」を自ら経験したことにとても価値を感じているし「 車輪の再発明 」は良くないことだと言われているけれど、人生を豊かにするためには、多少の「 車輪の発明を認識した上での、車輪の再開発」つまり、自分の手でやって納得することで、心から身に付くんだろうと思った
つまり、無駄なことなんて何ひとつないんだ
ただ、失敗と認めず、自分の理念や仮説と異なるという理由で、もう一方の施策をやらずに燻るのは、意味のない時間だと思う
ChatGPTに毎日、ビジネスやSaaSのアイデアを相談しているだけで行動している気になっていた。 そうじゃない。 なにか世に出そうと思った
どっちもやろう。 どっちもやって、自分のやり方を見つければいい
どっちもやってからでも遅くはない
私の次の挑戦の場はここ https://www.instagram.com/mota_lab
わからない。 何を投稿すればいいのかわからない。 方針もわからない
昨日までの私は「メルマガを読み漁り」「成功例を調べているだけだった」
でもわかったことがある。 ダメならまた始めればいい。 正解なんてない。
怖いけれど、時間をかけてなにかアクションをしなければ、道は拓けない
noteメンバーシップだって、最初は自分に言い訳をして、読まれないことが不安で、月に1記事くらいしか書いてなかったけれど、15-20記事書くようになったら読んでくれる人が増えてきた
不安だからやらないんじゃない。 不安だから時間をかけてもやるんだ
それがここ最近の教訓




