
noteが売れることが、人生のゴールなのだろうか。
売上が上がれば嬉しい。 Xで「note月10万円」といった投稿を見れば、うらやましいとも思います。
それでも、そこへ一直線に向かいたいとは言い切れません。 「自分もそちら側へ行きたい」という気持ちと、「別の生き方をしたい」という気持ちが、いつも同時にあります。
数字の先に何を置くか#
たぶん、これは僻みでもあります。 自分がまだ手にしていないものを、他人が手にしているからです。
ただ、僻みだけでは説明できない違和感も残ります。 売上が増えたとして、その先で私は何をしたいのかが見えていないからです。
僕が欲しいのは、お金だけではありません。 誰かと協力して、一人ではできないものを作り、「うまくいったね」と笑いたい。
過去に一人で抱え込み、心身の調子を崩した経験があります。 人と関わりながら生きることは、僕にとって贅沢ではなく、生活の条件です。
書くことは目的なのか#
正直に言えば、noteはAIが自分の考えを整理して、投稿まで済ませてくれればいいと思っています。
思考を残したい欲はある。 しかし、言葉にまとめる作業は面倒です。
それでもnoteをやめたくないのは、書く行為そのものが目的だからではありません。 考えたことを残しておきたいからです。
もし書く作業から解放されたら、歴史を学び直したいし、情報工学の研究もしてみたい。 趣味に没頭し、カメラを持って旅をし、家庭の時間も増やしたい。
そこで人に会い、実際の出来事に触れ、考えが変わっていく。 その変化が言葉になり、「今回も面白かった」と読者に言ってもらえる。
それが、今のところいちばん近い理想です。
noteを人生の一部に戻す#
書くために生きるのではなく、生きるなかで言葉が生まれる。 noteは、その言葉を残す場所であってほしい。
売上やフォロワーを否定するつもりはありません。 ただ、数字を伸ばすことだけを目的にすると、数字のために生活を組み立てることになります。
僕が欲しいのは、学び、人との関わり、日々の充実のあとに、「これが自分の人生だった」と思える感覚です。
今日もAIに手伝ってもらいながら、考えたことを記録しています。 この文章を読んでくれる人がいる。 その事実だけで、少し豊かだと思えます。




