メインコンテンツへスキップ

noteが売れても、人生が豊かになるとは限らない

·934 文字·2 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。
noteが売れても、人生が豊かになるとは限らないの画像

noteが売れることが、人生のゴールなのだろうか。

売上が上がれば嬉しい。 Xで「note月10万円」といった投稿を見れば、うらやましいとも思います。

それでも、そこへ一直線に向かいたいとは言い切れません。 「自分もそちら側へ行きたい」という気持ちと、「別の生き方をしたい」という気持ちが、いつも同時にあります。

数字の先に何を置くか
#

たぶん、これは僻みでもあります。 自分がまだ手にしていないものを、他人が手にしているからです。

ただ、僻みだけでは説明できない違和感も残ります。 売上が増えたとして、その先で私は何をしたいのかが見えていないからです。

僕が欲しいのは、お金だけではありません。 誰かと協力して、一人ではできないものを作り、「うまくいったね」と笑いたい。

過去に一人で抱え込み、心身の調子を崩した経験があります。 人と関わりながら生きることは、僕にとって贅沢ではなく、生活の条件です。

書くことは目的なのか
#

正直に言えば、noteはAIが自分の考えを整理して、投稿まで済ませてくれればいいと思っています。

思考を残したい欲はある。 しかし、言葉にまとめる作業は面倒です。

それでもnoteをやめたくないのは、書く行為そのものが目的だからではありません。 考えたことを残しておきたいからです。

もし書く作業から解放されたら、歴史を学び直したいし、情報工学の研究もしてみたい。 趣味に没頭し、カメラを持って旅をし、家庭の時間も増やしたい。

そこで人に会い、実際の出来事に触れ、考えが変わっていく。 その変化が言葉になり、「今回も面白かった」と読者に言ってもらえる。

それが、今のところいちばん近い理想です。

noteを人生の一部に戻す
#

書くために生きるのではなく、生きるなかで言葉が生まれる。 noteは、その言葉を残す場所であってほしい。

売上やフォロワーを否定するつもりはありません。 ただ、数字を伸ばすことだけを目的にすると、数字のために生活を組み立てることになります。

僕が欲しいのは、学び、人との関わり、日々の充実のあとに、「これが自分の人生だった」と思える感覚です。

今日もAIに手伝ってもらいながら、考えたことを記録しています。 この文章を読んでくれる人がいる。 その事実だけで、少し豊かだと思えます。

関連記事