
結婚式の準備は、式場を選ぶことから始まると思っていた。
実際に始めると、書類、両親への報告、前撮り、招待客の移動、式当日の段取りまで、二人で決めることが次々に出てきた。 プランナーは置かず、ベトナムで暮らす私たち自身で進めた。
準備が大変だったことよりも、どちらの文化をどこまで大切にするかを、その都度言葉にする必要があったことが印象に残っている。
書類が終わっても準備は始まったばかりだった#
婚姻の手続きは、相手の実家がある地域への移動や、書類の翻訳と確認を伴った。 当時の制度や必要書類は変わり得るため、ここでは手順の案内はしない。
手続きが済めば一息つけると思っていたが、そこから挙式の日程や場所を決め、家族へ伝えることになった。 空いていた日を先に押さえたため、両親への報告も落ち着いて準備できたわけではない。
夫婦で生活している場所と、式を開く場所が離れていたことも、判断を急がせた。
来てくれる人の時間を預かる#
日本から来る友人や同僚には、ホテル、送迎、フライト、現地のお金について案内を作った。 新郎でありながら、日本語で説明できる人として運営側の役割も担った。
そこで痛感したのは、移動の予定に余白を残す必要だった。 乗り継ぎ時間を短く見積もった友人が、遅延や入国審査の混雑に巻き込まれた。 早く、安く移動できる案を出したつもりでも、相手にとっては式に間に合うかどうかの問題になる。
案内を作るときは、正しい情報を並べるだけでは足りない。 迷ったときに何を優先してほしいかまで伝えなければならなかった。
二人の常識は同じではない#
引き出物や土産の箱を用意したい私と、それを当然とは考えない妻のあいだで、費用や必要性への感覚は違った。 招待状の見せ方、前撮り、当日の儀式にも、育った場所ごとの慣習があった。
違いがあること自体よりも、「なぜそれをしたいのか」を互いに説明することが難しかった。 日本の友人へ渡す土産の箱や、来場者170人分のキャンドルを用意したのは、私たちなりに来てくれた人へ気持ちを形にしたかったからだ。
妻の側には、別の場面で大切にしたいことがあった。 どちらかの常識を正解にしてしまうと、準備はすぐに苦しくなった。
当日まで決め続ける#
前撮りは早朝から始まり、プロフィールムービーは式の直前まで編集した。 完成した映像が想定した形で使われなかったこともあった。
それでも、当日は親戚が司会をし、両家が顔を合わせ、遠くから来た友人たちも集まってくれた。 式の後も、観光の案内、見送り、親族への挨拶が続いた。
終わってみると、結婚式は一日だけのイベントではなかった。 異なる前提を持つ二人が、誰に何を届けたいかを何度も決める時間だった。
この経験だけを一般的な手順にはできない。 けれど、決める理由を互いに説明し続けたことは、夫婦として暮らすための準備にもなったと思う。