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12歳の頃、友人が教えてくれた大切なこと

·1550 文字·4 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。

たけきくん、元気かな。

小学生の頃、彼は少し大人びて見えました。 2chの用語を知っていて、口喧嘩では相手の言葉の隙を見つけ、校庭の朝礼台では一緒にピラメキーノダンスを踊った。

私は彼の考え方に憧れていました。 良い人だったからではありません。 むしろ、彼は人を困らせることもあった。

それでも、彼の振る舞いには、周囲を動かす力がありました。

怒ったほうが負ける
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ある日、口喧嘩が苦手な私に、彼はこう教えてくれました。

相手を先に怒らせれば勝ちなんだよ。 自分を可哀想に見せれば、自分が悪くても周りが味方になる。 その時を待て。

私は「怒らせるなんて怖い」と思いました。 それでも、その言葉は頭から離れませんでした。

相手を煽る。 怒り始めたら、さらに言葉を重ねる。 自分は冷静なふりをして、相手が言い過ぎるのを待つ。

何度か試しました。 しかし、私自身が先に怒ってしまう。 煽りすぎて、周囲から「そこまでやるのは違う」と距離を置かれる。 相手の言葉の隙を見つけても、最後にそれを突く勇気が出ない。

彼のようにはできませんでした。

雰囲気を作る人
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六年生の教室で、いじめが始まったことがあります。

彼は取り巻きの一人について、他の人に聞こえるように一言言いました。 それだけで、その人をからかう空気ができました。

数か月後、担任に呼ばれて謝ることになったのは、私と別の友人でした。 彼も、周りにいた人たちも、その場にはいませんでした。

彼は雰囲気を作り、あとは雰囲気に任せていた。 卒業前には、「俺が少し言ったら、お前らが勝手にやっていた」とでも言うように、関わりを否定していました。

当時の私は、それをずるいと思いながら、同時にすごいとも思っていました。 自分が前に出ずに、周りを動かす力があったからです。

踊る側でいたい
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大人になってから、SNS上の議論で誰かを責める側に回ったことがあります。 誰かが投げた言葉に反応し、相手を批判し、周囲の反応に乗っていく。

そのとき私は、自分が火をつけた人ではなく、火の周りで踊っている人なのだと思いました。

火をつけた人は、遠くから薪を足している。 私は、そこに意味があると思って踊っている。

小学生の頃の教室で、私は何度も前に立たされました。 大人になっても、同じ構造のなかで、今度は自分から踊っていたのかもしれません。

そのことに気づくと、少し納得できました。

ただ、私は誰かを動かすために陰から火をつける人になりたいわけではありません。 先頭で踊っていたい。

誰かが踊っていたら、一緒に踊れる人でありたい。 自分が間違えたときも、その場から消えずに最後までいる人でありたい。

それが、私の選びたい美学です。

たけきくんから教わったことは、今も自分の中に残っています。 ただし、教わったとおりに生きる必要はありません。

人を動かす力に憧れた12歳の自分を否定するつもりもない。 あの頃の自分は、強そうに見えるものを一生懸命に見つめていただけです。

これからは、火をつけた人ではなく、最後まで踊った人を信用したい。 そして自分も、誰かのために、最後まで踊れる人でいたいと思います。

二番目に踊る
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最初に踊る人は、いつも心細い。 誰も見ていない場所で動き始めるからです。

だから、二番目に加わる人には大きな意味があります。 最初の人が続けられるようになり、周りの人も参加しやすくなる。

私自身、活動を始めた頃に一緒に動いてくれた人を覚えています。 成果を出したからではなく、まだ形になっていない時期に時間を使ってくれたからです。

何者でもない時期は、先頭に立てないことを気にしがちです。 しかし、誰かの近くで一緒に動くことも、場を前に進める行為です。

私は、最初に始める人だけでなく、二番目に加わる人の力も信じたい。 誰かが踊っていたら、一緒に踊れる人でいたいと思います。

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