noteを書きたい。 でも、何を書けばいいのか分からない。
そう思いながらSNSを見ていると、「バズる書き方」や「フォロワーを増やす方法」が目に入ります。 書き始める前に、発信の技術を探してしまう。
けれど、noteを書くこと自体が目的になっていないでしょうか。
先に人生を生きる#
私が書きたいのは、何もない場所から作ったテーマではありません。 仕事で試したこと、個人開発で失敗したこと、人と関わって考えが変わったこと。
そうした日々の過程で、ふと心が動いた瞬間を残したい。
だから、noteのために生活を作る順番には違和感があります。 まず自分の力を注げることに取り組む。 失敗して、やり直して、人と話す。 そのあとに、書きたいものが出てきたら書く。
文章の材料は、記事の中ではなく生活の中にあります。
言葉が出てくるまで待つ#
何かが言葉になりたがる瞬間があります。 怒りでも、嬉しさでも、失敗の悔しさでもいい。
そのときは、見出しや目次を先に整えません。 まず、何に反応したのかをそのまま書きます。
構成や表現を整えるのは後でいい。 最初から読者に届く形を作ろうとすると、書き手自身の感情まで薄くなるからです。
発信は人生の副産物#
反応や収益を目的にしない、と言い切るつもりはありません。 読まれれば嬉しいし、収益につながれば助かります。
ただ、それらを先に置くと、何を書けば反応されるかだけを考えるようになります。 自分が何を経験し、何に心を動かされたのかを見失ってしまう。
noteは、人生の代わりにはなりません。 自分が真剣に取り組んだことの一部を、あとから記録する場所です。
何を書けばいいか迷ったときは、発信の方法ではなく、最近何に夢中になり、何に困り、何が変わったのかを思い出したい。
そこに、書くべきものがあります。




