「やりたいけれど、自分には難しい」と迷っていた私の背中を、周囲の社会人や先輩が押してくれました。
そこから始まったのが、山形の若者がつながる「やまがた次世代会」です。 人を集め、活動の目的を伝え、最初の一歩を作ることはできました。
けれど、立ち上げから二年半が過ぎた頃、私は関連メディアの代表を退き、運営チームからも離れることにしました。
始める力だけでは続かない#
私は、目指したい姿を語って仲間を集めることが得意でした。 一方で、先が見えない課題に直面すると判断を遅らせ、実務をメンバーに任せがちでした。
活動の意義を語る人と、毎週の仕事を進める人が分かれると、負担は後者に偏ります。 私の熱量が下がった後も、メンバーは企画や取材を続けていました。
代表を退いた後、チームの議論は以前より主体的に進んでいるように見えました。 寂しさはありました。 同時に、自分が席を空けたことで意思決定がしやすくなったのなら、退く判断は必要だったとも思いました。
伝わっていたもの#
最後のミーティングで、メンバーから言葉をもらいました。 私が繰り返し伝えていたのは、次のようなことです。
- 自分のやりたいことに挑戦してほしい
- 山形で得た経験や知識を次の人へ渡してほしい
- 情報と人が行き交う場にしたい
- 自分の考えを言葉にできる場にしたい
運営の力は足りませんでした。 それでも、目指していたものまで無駄になったわけではありませんでした。
立ち上げた人が最後まで代表であり続けなくても、考えを受け取った人は、別の形に変えながら活動を続けられます。
別のリーダーから学んだこと#
その後、別の学生メディアで活動しました。 そこのリーダーは、分からないことにも手を挙げ、必要な人を集め、実行しながら答えを探す人でした。
計画どおりに進まない場面は多く、意見がぶつかることもありました。 それでも仕事が止まらないのは、本人が毎日手を動かし、困っていることを隠さなかったからです。
そこで、リーダーに必要なのは完璧な答えではないと知りました。
- 目的を言葉にする
- 次の行動を決める
- 分からないことを認めて助けを求める
- メンバーの状況を確かめる
- 必要なら役割を譲る
私は最初の一つに偏っていました。 足りなかったのは、生まれつきの器ではなく、残りの仕事を引き受ける習慣だったのだと思います。
代表を退いた経験は苦いものでした。 しかし、自分の得意な局面と、誰かに任せるべき局面が見えました。
もう一度チームを持つなら、理想を語った後の一週間を大切にします。 そこで何を決め、誰が困っていて、自分が何をするのか。
活動が続くかどうかは、その地味な確認に表れます。




