「本を書きたい」と思うたび、手が止まる。
形としての本にこだわっているわけではない。 学生団体を立ち上げたこと、イベントで話したこと、動画を投稿したこと。 そのときに得た経験を、似た場所にいる誰かへ渡したいと思っている。
けれど、過去を整理する時間が増えるほど、いまの自分が前に進まなくなる気もする。 この怖さが、書くことを何度も後回しにしてきた。
教えることに逃げた記憶#
誰かに伝えること自体は好きだった。 感謝の言葉を受け取ると、やってよかったと思えた。
その一方で、過去の経験を語ることに気持ちよくなり、新しい挑戦から離れてしまった時期もある。 過去の自分を説明できることと、いまの自分が成長していることは同じではない。
だから体系的にまとめようとすると、書く行為が前進の代わりになってしまうのではないかと身構える。
忘れたくないものもある#
しかし、残さなかった経験は後から取り戻せない。
何に迷ったか。 どうしてその判断をしたか。 当時は些細に見えた出来事が、数年後には自分を形作った場面だったと気づくことがある。
「残しておけばよかった」と思う記憶と、「残しておいてよかった」と思う記録のあいだを、私は何度も往復してきた。
忘れないために書くことと、誰かに教えるために書くことは少し違う。 前者には、未完成のまま残す自由がある。
途中の自分から書く#
完成した教科書にしようとすると、書けなくなる。 結論が変わるかもしれないことまで、きれいに固定したくなるからだ。
今の私は、当時の判断と、その後に変わった見方を並べて残せばよいと思っている。 後から誤りに見える部分も、当時の自分がどこに立っていたかを知る手がかりになる。
本を書くかどうかは、まだ決めていない。 ただ、前へ進んでいる途中でしか見えない景色を、忘れる前に置いておくことはできる。
未来の自分が読み返したとき、そこに少し不器用な当時の自分が残っていればいい。


