メインコンテンツへスキップ

やりたいことなんてたいしてない

·1436 文字·3 分
mota
著者
mota
AI開発、個人開発、ベトナムでの仕事と暮らしについて書いています。

東京出身です。 そのまま都会で大学生を過ごすよりも、地方で大学生をやったほうが、なんとなく世間一般とは違っておもしろそうだと思ってやってみました。

海外でインターンをしたら、なんとなく世間一般とは違っておもしろそうだから、休学もしてやってみました。 東京という人生ゲームに参加する気分になれなかったから、新卒から海外を目指してみた。そして海外移住して5年目です。

結婚してみた。子供が生まれて、そろそろ1歳になります。 外国人が誰もいないような細くて薄暗い路地裏に住んでみた。外国人が住んでいるエリアから離れたところに住んでみた。

少数派を選ぶのがおもしろかった
#

いつだってそうでした。誰もやらなさそうなことをやっている自分が好きでした。おもしろかった。

ただ、誰もやらなさそうなことだけをやった先に、とうとう自分がマジョリティに属していると言えるようなことがなくなってしまったように感じます。

マジョリティのなかにいて、マイノリティな選択をし続けるのが楽しかったのに。もうこの先、そういう意思決定で満足できるようなマイノリティ側は、特になさそうです。

いつだって鶏頭牛後でした。自分が鶏の頭になれるように頑張ってきた。牛の頭になんて成れっこないからです。

いまは、たいして望みがない
#

いまは奥さんもいて、子供もすくすく成長して、毎日がただそれだけで十分な気がします。給料も、日本にいる友人並みには多分もらっています。

これ以上いったいなにを望むのかというと、いまはあまり願望というか、野望というか、そういうものがありません。

身につけたいスキルはあります。それでも、現状で満足してしまっている自分がいます。

個人開発で月100万円ほしいなぁ、とは思いながら、今日もカタカタ個人開発は続けます。

マスのルールを追っている
#

現状に不満なわけではないのに停滞感があるのは、きっと個人開発というマスのなかで、月100万円というマス側のルールを指標にしているからかもしれません。

個人開発。このままでは牛後のままです。鶏頭にならないと、と思ってしまいます。

マスの評価指標を追いかけた途端、それは自分軸ではなく他者軸になります。不幸への道が始まってしまう。

X を見ては嫉妬して、Reddit を見ては上の空で、起業している友人と会えば、自分だけ起業していなくて停滞感を覚える。でも、起業する勇気もありません。

そんな界隈の友人が多い自分という、看板のようなものにすがりついている自分がいる気がして、嫌気がさします。

これも結局、自分軸ではなくなっている証拠です。さて、私はどうやって生きたいのか。どんな人生にしたいのか。

不満はない。でも不安がある
#

正直、満たされているから、あまり渇望が湧いてこないのかもしれません。

出社して、ご飯を食べて、帰ってご飯を食べて、PCをカタカタして寝る。この毎日です。

でも、やっぱり不安です。海外移住を何歳まで続けるのか。老後もここに居続けるのか。日本の年金もなく、日本の証券口座もなく、この国であと50年くらい生きていくのだろうか。

本当にやっていけるのか。土地は買えるか、家は買えるか、資産は築けるのか。

「このままでいいのか」と考える、いわゆる何も行動していない大学生のような感情になったことなんて、かなり久しいです。

毎日不安だけど、現状に不満はない。ただ、将来への不安がある状態そのものは不満です。だからこそ、個人開発は続けます。

ただ、やっぱりこれでは鶏頭にはなれない。牛後のままです。

関連記事